2025年9月5日から始まった「遠い山なみの光」を
映画の日に観て来ました!
カズオ・イシグロ原作(1982年)ということですが、
キャストがとっても豪華なんです✨
(ここからは、ネタバレ考察となります…)

原作タイトルは「A pale view of hills」
まさに映画全体を薄い不幸がベールを被っているような印象を受けました。
1980年代のイギリス編では、悦子(吉田羊)が次女ニキにせがまれて、
今まで語ってこなかった自分の過去を話すのですが、
イギリス人の旦那は既におらず、
長女の景子も自殺して、いません。
ニキは長女と比べられて嫌な思いをしてきた、
と嫌悪感を隠そうともしません。

1950年代の長崎編では、原爆が投下され、
何もないところからの復興の気運が満ちていて
町も人もエネルギッシュです。
を身ごもっていました。
二郎の父で、元校長の緒方(三浦友和)が二人の住む団地に滞在するのですが、
どうやら息子には煙たがられている様子。
戦争を境に価値観が相いれないようです。
(緒方さんは教育者のため、戦争で戦いお国のために死ね、と説く立場。
息子は戦争で戦うも、中指をなくし、現在の復興のため、働いています。
悦子は緒方さんと一緒に音楽教師として働いていたので、緒方先生と同じ考え方を持っていますが、原爆で教え子を守れなかったことを悔やんでいます)

経済的には恵まれている悦子は、
近くのバラックに住む「万里子」といういじめられている少女と知り合い、
その母親の佐知子(二階堂ふみ)と親しくなります。
佐知子はフランクというアメリカ人男性と結婚して渡米する夢を持ち、
そうすれば万里子の将来も素晴らしいものになると信じています。
ある意味佐知子は、当時の長崎では進歩的な考えを持って
未来に希望を持っていますが、
現実はシングルマザーで、
フランクも実際のところ怪しい関係です。
一方、悦子は古い価値観に縛られ、
封建的な旦那に仕えることが当たり前で、
幸せや女性の自立が何かも、わかっていないのでした。
このようにイギリス編と長崎編が行ったり来たりの構成となっています。
イギリス編では吉田羊さんの流暢な英語に驚き、
長崎編では、現代ではモラハラになりそうな旦那さん(松下洸平)を
かいがいしくお世話をする広瀬すずが、
お人形さんのようなビジュアルで、
それが一層、現実感のない回想シーンにぴったりだと感じました。
最後にいよいよ渡米すると二階堂ふみが言い、
嫌がる万里子に、仔猫を捨てるよう命じ、自ら川に捨てるシーンがありました。
え??ってなりますね。
吉田羊は、二階堂ふみだったの??
もしくは、二階堂ふみはすべて吉田羊の妄想??
混乱してしまいましたが、
やはり吉田羊の過去は広瀬すず。
二郎との子、景子は自殺。
その後イギリス人の夫と再婚してニキが誕生した。
景子の自殺は劇中では詳しく触れられてはいないのですが、
どうやらイギリスに馴染めず、部屋に籠るようになり、首を吊ったようです。
アメリカに連れて行けばうまくいく、
と言っていた佐知子と不幸な万里子が、
自分と景子との関係に重なったのではないでしょうか?
現実に力強く生きるニキ(実生活では不倫して自分の妊娠を疑っている)は
姉の死は母のせいではない、と言い切ります。
過去にとらわれず、価値観を更新して、現実を生きろ
そんなメッセージを受け取った私です。